働けない主婦のトライ日記

体が弱く働きたくても働けない主婦が、日々思った事や経験した事を綴っています。

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改めてプロフィール

またまた雨です。

昨日は、娘とお出かけし、久しぶりに一緒にランチを食べてきました。

ケーキ美味しかったな~。けっちゃんです。

 

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今日は、改めてけっちゃんのプロフィールを書きたいと思います。

興味のない人もたくさんいらっしゃると思うので、それはスルーしてやってください。

宜しくお願いします。

 

プロフィール

 

 

けっちゃん誕生

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1966年夏に誕生です。

 

ギャンブル好きで自由人、教育・しつけは母親任せ、とにかく自由な生き方をしている人情深い父と、世間体を気にして、教育に関しては本当に厳しかった母親の長女として育てられました。

自由人でお金使いの荒い父に苦労していた母親。

それがストレスだったのか、人の幸せをねたむようなところがあったので、子供ながらに、母の事は嫌いではなかったけど、自分の母親ながら、自分はそうはならないようにと子供の頃から感じていました。

 

私には会った事がない兄、そして2歳下の弟がいます。

兄は私より6歳上です。3際の時に白血病を患い、5歳で亡くなっています。

なので、父はどうしても男の子が欲しくて、私が生まれた時はあまり喜ばなかったそうです。男の子が欲しかった父は、弟の誕生はとても喜んだと母親から聞いています。

 

 

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住まいは市営住宅、脱衣所もないお風呂と、洗面台もなく顔を洗うのも食器を洗うのも同じ。玄関入ったらすぐトイレ。それも、ボットントイレ。よくポケットから物を落としてあ~あ・・・となったことか。

玄関入ってすぐトイレだから、お客さんが来ているとトイレにも行けず、逆にトイレに入っていてお客さんが来たら出れずなんて事もしばしば。

もちろん、自分の部屋などなく、6畳一間を弟と分け合って使いました。時には部屋を半分に糸で線をはり、こっちからは私、こっちからは弟と分けて、空中はダメ!なんてルールを作り、それなりに楽しんでいました。

弟は無口でしっかりもの、姉弟仲は良かったです。

 

幼少期

 

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小さい頃は、まるまる太っていて、髪の毛が多く、刈上げ姿がどうみても男の子でした。子供に見せたら、可哀想と笑われたぐらいです。

母親は、女の子だから髪の毛を伸ばして三つ編みにしてあげようとか、そういったことをする人ではなかったので、髪の毛多いし、バリカンで一気にという感じだったのでしょう。

 

幼稚園時代

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幼稚園に入ってから、少しずつほっそりしてきました。

それでも、まだ顔は丸かったですね。

とにかく、人見知りで恥ずかしがり屋でした。それから、この頃から泣き虫でした。

 

母親が子宮筋腫の手術で、父親の実家に預けられた時、その時3歳の弟は一切泣いていないのに、私は毎日泣いていまいた。自分でも田舎の土間で泣いていたことを覚えています。

また、恥ずかしがり屋な私は、卒園式の時、担任の先生がみんなを見送る為に門の所に立っていて、母親が先生に「さようならといいなさい」と言うのですが、その最後の一言「さようなら」が言えず、母親にひどく怒られた記憶が今も残っています。

 

小学生時代

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小学生の1~2年生の時は、いじめられていました。

近所の同じ学年の女の子とそのお兄ちゃんが、みんなをけらいのように従えていました。私もけらいでした。いつも泣いて帰ると、母は泣くなら一緒に遊ぶなと強く怒られました。私だって一緒に遊びたくないです。でも、遊ばないとまたいじめられるのです。本当なら母親に何か助けて欲しかったのですが、母は何もしてくれませんでした。

 

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それでも、うちの学校は小学2年生から学級委員制度がありました。

クラスのリーダーを男子1人、女子1人を投票で決めるものです。

なぜか、私はそれに選ばれてしまったのです。すると、今までいじめたいた子が、学級委員になったので、いじめるのを止めるわと言われ、それから私はいじめられなくなりました。

それから、私は小学6年生まで学級委員と、生徒会という、目立つことが嫌いなのにそんな事をやっていました。好きではないけど、責任感は強いので真面目にやった記憶があります。

 

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小学5年生の時、山の学習での時です。

私は1組3組5組の大部屋のリーダーに先生から任命されました。

もちろんやりたくはないですが、仕方ないです。

でも、3クラスの女子をまとめるのは難しいです。

違うクラス同士の女の子は喧嘩しだすし、夜は寝なくてはいけないのに、みんなガヤガヤして寝てくれないし、必死で「静かにしてください!」と、幼稚園の時に「さようなら」の一言さえ言えなかった私が、何十人もいる人に向かって叫ぶのです。

それでも、みんな聞いてくれず、私はもういい!と半ばあきらめて泣いて寝たことを覚えています。そのふてくされて寝ている写真がなぜか残っています。

やはり、泣き虫はなおっていません。

 

自分の気持ちが言えない子供

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自分の気持ちがなかなか言えないのは子供の頃からです。

母親にも反抗する事ができませんでした。

なので、母親からしたら、とてもよい子だったと思います。

ずっと学級委員をしていたので、母親もずっとPTA役員と言うものをやっていました。校長先生とか教頭先生とかとも仲良くなり、母親的には校長、教頭と仲良くできるのは自慢だったようです。なんせ、自慢話が好きな人だったので。

 

小学校の6年生の時、新しく分校ができると言う事で、私はその代表であいさつする事になりました。

文章は先生が考えてくれたと思いますが、その姿が新聞に載り、また喜ぶ母親に私は嬉しい感情は特になく、ただただプレッシャーでしっかりやらなけらばと言う想いでした。

自分の気持ちが言えないのは、母親だけではなく、友達にもでした。

 

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山の学習の時、数人の友達と好きな男の子を発表しようと言う事になりました。

順番にみんな好きな男の子を言いだします。

もちろん私もいました。幼稚園の頃からずっと一緒で、スポーツが得意な男の子です。

小学1、2年生の時も同じクラスでその頃から好きだでした。

私はその男の子の名前を話すつもりでした。そしたら、違う友達がその男の子の名前を私より先に言ったのです。私も同じと言えば良いのでしょうが、それが言えないのです。友達が好きな子を私も同じなんて私には言えないのです。

どうしよう・・・。

で、私は違う男の子(A君)の名前を言いました。

嫌いではないけど、面白い子だったからと言う理由です。

でも、この話は誰にも言わないからと言う約束でみんな発表したのに、なぜか一部の男の子達も同じような事をしたらしく、その男の子達の中で私の事を2人の子が好きと言ってくれていたらしいのです。

 

そのうちの1人が私が好きでもないけど、好きと言ってしまったA君だったのです。

誰にも言わないと言う約束は守られることはなく、あくる日、黒板には相合傘で私の名前とA君の名前が・・・。

本当は私は好きではないので、喜べないし、でも、今さら違うとも言えず、本当にA君には悪い事をしました。

 

A君は中学生になっても私の事を思っていてくれたらしく、昔でいうヤンキー(古い!)みたいな感じにはなっていたのですが、ラブレター(これまた古い!)をくれました。

それでも、私は思いに応える事ができず、私も本当に好きだった男の子に対して気持ちが変わらず(でも、誰にも言えなかった)、ラブレターの返事を書いたのですが、やはり恥ずかしがり屋な私はお断りのラブレターを渡す事ができず、ずっと自分の鞄にしまったまま、最後はその男の子から電話が掛かってきてお断りができたと言う、なんとも失礼な私でした。

 

まとめ

こんな事、書いても誰も面白くないかもしれませんが、やはり自分の思いは言葉に発しないと相手には伝わりません。

どうせダメでも、伝えた方がスッキリ諦められたのかもしれません。

私は小学1年から高校1年まで同じ男の子に片思いでした。

でも、片思いって思いを告げてなくても片思いって言うのかな?

 

なんだか、長くなりましたのが、興味のある方はまた後日書いていこうと思います。

良かったら読んでください。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

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